こんばんは、こぴちょあです。
唐突ですが、下記はatchanyuichanさんの書かれたPTAの記事です。
atchanyuichanさんのこの記事から、アメリカで生活をしていた時に経験したボランティアのことを思い出しました。
題材がかなり昔のことなので、記憶も曖昧な部分が多いんですが、日本との比較もまじえながらアメリカ生活で印象に残ったことを書こうと思います。
良かったら、最後までお付き合いください。
アメリカでの息子の学校生活
息子が4歳になって直ぐ、夫の仕事の関係で海外赴任となりました。過ごした場所はニューヨーク州の郊外で、そこで4年半ほど過ごしました。良い思い出の方が多い気がしますが、辛い思いや悔しい思いも経験しました。
駐在先がアメリカだったため、地域の現地校(パブリックエレメンタリースクール)では、夫の帰国が決定した3rd gradeの途中までを息子には頑張ってもらいました。
翌年に始まる公立の小学校での下準備として、最初の1年はナーサリースクールに通わせました。そこには10人ほどのクラスメートがいましたが、そのうちの半分は日本人が占めていました。同じ言語が通じる仲間がいることで、息子の精神的不安も少しは緩和されていたようでした。
州によって多少の違いがあるらしいのですが、私達が生活していた州では、義務教育は5歳児からが対象です。アメリカに住んでいる5歳児は、Kindergarten(キンダーガーテン)という学年からが義務教育の開始となります。
アメリカで経験したボランティア
ナーサリースクールでも先生に協力をするというボランティアはありましたが、ほとんどがお絵かきの準備を手伝ったり、一緒にグラウンドで走りまわったりといった生活に密着したお手伝いがほとんどでした。
でも小学校ともなると、ボランティアと言っても意味合いが異なっていた気がします。
今回のボランティアの話は、息子が通っていた現地の小学校での話になります。
向こうは9月始まりの為、夏休み中の入学前に学校を見てまわれる日?が設けられていました。そのように記憶しています。
その日に行くと、ボランティアができる項目がある用紙をもらうんです。そしてその用紙に、自分が出来るであろうボランティアの項目にチェックを入れ提出するんですが、その時に個人的に説明をしてくださった方に勧められ、私にも務まるならばとクラスマザーにもチェックを入れたのです。
クラスマザーとは、日本でいうクラス委員みたいなものだろうと勝手な解釈をしていた私は、何事も経験だし、クラスマザーを引き受ければ息子の様子もわかるし、と当初は前向きにとらえていました。
クラスマザーの集会日当日
クラスマザーの項目にチェックを入れたのですから当然ですが、集会日に呼び出しがあったので、当然のごとく出向きました。
講堂には多くのお母さん方でごった返していました。各クラスではなく講堂で行うこと自体が、そもそも日本とでは違う気がしました。
息子のクラスには日本人は息子しかいないのは事前にわかっていましたが、お母さん方の機関銃のような英語でのおしゃべりに圧倒されていました。
講堂には、それぞれの学年とそれぞれの担任のクラスでわけられていたと記憶しています。息子の担任の名前のある場所に出向き、訳もわからないまま緊張状態で座っていました。
息子の担任のクラスには、かなりの数のお母さんが座っておしゃべりをしていました。状況がつかめていない私は、日本と同様に、その中から二人ほど選出するんだろうと思っていました。
ところが違いました。クラスマザーのリーダーらしき人が「担任が来る前に各自が受け持って電話をする人を決めましょう。」と言うではないですか。
「先生が不在?」「担当する人を決める?」
国が違えば風習も文化も違うのに、勝手にクラス委員の選出方法を決めてかかっていたので、この状況に戸惑いました。
最初のクラスマザーの仕事って、電話連絡の担当人数を割り振られること⁈
どうやら既にクラスマザーのリーダーは決定していたようです。この話を書く前に、同じような状況を知っている方がいないか調べた所、クラスマザーのリーダーは先生の依頼で事前に決まっているようです。今更ながらでしたが、納得でした。
つまり、クラスマザーにチェックした人はリーダーのクラスマザーが担任から受けた連絡事項を、ボランティアが出来るとチェックしたクラスマザー全員に電話連絡をし、リーダーから受けた連絡事項を各自が担当したクラスの親に責任をもって連絡するのが、まず第一の仕事だったようでした。
ですから、びっくりすることに、既にリーダーは決まっているけれど、クラスマザーを引き受けた人の人数は当日にわかるシステムってことでした。状況によっては、クラスマザーに名乗りを上げた人が誰もいないというケースもあるようで、その場合は、担任にお願いされたリーダーのクラスマザーが全員に連絡をするということになっているようです。
クラスマザーを辞退
そんな図式も知らず、クラスマザーもできるという言葉をうのみにし、のこのことやってきた私でしたが、もう頭の中は真っ白。
伝言ゲームじゃないけれど、英語で聞いたことを数人と言えども間違いなくちゃんと聞き取って、ちゃんと伝えられるのだろうかと思った瞬間、「できない」と断っていました。
割り振られるのは二人程度とはいえ、「無理!」という二文字が頭をよぎり、とっさにお断りをしていました。
それに対して「OK」で終わり。
そんな対応にも驚きでしたが、ボランティア精神が身についているからでしょう。
息子は逃げられないのに
自分が置かれた状況で、これから始まる息子の大変さが嫌というほどわかったのに、それを「できない」という一言で断った私は、帰宅後大いに反省しました。
私はボランティアに過ぎないので、「できない」といって逃げることが出来たけれど、息子には逃げ場はないのです。辛くてもこれから踏ん張って英語の世界に身を置かなければならないんです。仕方ないとはいえ、親の仕事のせいで。
まだ5歳になったばかりの子が、日本人が一人もいないクラスの中で7時間もの長い時間を過ごさなければならないのかと思うと、逃げ出した自分が許せませんでした。親として恥ずかしい気持ちでいっぱいになりました。
最後に
これから始まる息子の大変な思いは想像以上のものだと実感したことは、逃げ出したもののトライして良かったと思いました。その場所に出向いたというだけですが、私の中では大切な経験でした。
キンダーガーテンのクラスマザーは辞退したことで、息子の大変さがより実感できたので、違う形で息子のサポートを模索することになります。
長くなったので、この話の続きはまたにしたいと思います。
最後までお付き合い頂きありがとうございました。