こぴちょあぶろぐ

原田病になったことがきっかけで、このブログを始めました。今では料理など、自分の好きなことを中心に書いています。

高速道に入ってしまった時の話

こんばんは、こぴちよあです。

 

新型コロナウイルスの感染が日に日に拡大している中、昨日の首相の唐突な発表にはびっくりでした。ほんと頭が痛いです。

 

小中高に休校を要請って聞いた瞬間、何それ?って思いました。要請して後は丸投げ?休校を要請した後をどうするのかまでを含めてが大事なんじゃないの?と書き出すとキリがなくなりそうです。

 

文句を書き出したら止まらなくなりそうなので、今回も「思い出編」です。

 

なんだ、またと言わずに、お付き合いいただけると嬉しいです。

 

マイカーを出して欲しいと言われ

これは、誤って高速道路に入ってしまった時の話です。

 

まだアメリカでの生活が始まったばかりで、私が運転出来る道も限られていました。

 

そんなある日のことです。理由はなんだったのかは忘れましたが、私の車を出して欲しいと夫に言われたんです。

 

夫にも自分専用の車はありました。オフィスへ行くためです。とはいえ、私と違って中古のアメ車でしたが。

 

その日、「オフィスまでは僕が運転するから、帰りは自分で運転して帰って欲しい。」と言われたんです。

 

道順も簡単だと言われたので、承諾しましたが、正直不安はありました。4歳の息子を置いて行けません。息子も当然同行でした。

 

その時点では知らなかったこともありますが、今思うと近所に職場の仲間もいたんです。

 

それなのに、どうして夫はその人たちにお願いしなかったのか、と今更ながら思ったわけですが、どんだけ今更なのかと書きながら、そんな自分に呆れました。

 

事件は帰りに起きました

アメリカの高速道路は無料のところも多くて、そのせいか一般道と無料の高速道の区別がわかりにくかったような気がします。って、ちょっと自己弁護です。

 

そもそも、それが発端でした。

 

というのも、夫のオフィスからの帰り道にある一般道と高速道路が隣接していたんです。

 

それで夫は、私が間違えないかと心配だったのでしょう。帰りがけに夫から「間違っても高速に乗らないように!」と念を押されたんです。

 

ところが、自分では注意していたつもりでしたが、やってしまったんです。

 

気づいた時には

気づいた時には時すでに遅しでした。もう高速道をかなり走っていたのです。

 

焦るものの、慣れないやら危ないやらでスピードを落として上手く車線変更もできません。降りなきゃと焦りながら直進していました。その後、見つけた出口をやっとの思いで降りたのでした。

 

高速道路を出たけれど

降りたものの周りは塀の高い家ばかり。我が家の周りとは雰囲気がちがいました。そのせいかわかりませんが、道を聞こうにも誰もいませんでした。

 

その頃はカーナビもなく、携帯すら無い時代でした。自分の居場所も今ひとつわからず途方に暮れましたが、何がなんでもどうにかしなければなりません。

 

4歳の息子が同乗しているわけですし、一刻も早い帰宅をと焦っていました。察しの良い息子は、まだ4歳になったばかりなのに、健気にも大人しくじっとしてくれていたのです。

 

お店のある通りに出られた

感を頼りに一般道を走っていると、お店のある通りに出られたんです。お店の人に道を聞くしか方法はないと思った私は、出来るだけお店の入り口近くに車を止め、そこからお店の人に声をかけました。

 

今思うと自分でもよくやったなと思いますが、それだけ必死だったってことですね。

 

その時、なんと言ってお店の人を呼んだのかも忘れましたが、人の良さそうなおじさんが車まで来てくれたのです。

 

地図を書いてもらう

道を間違えてしまい、迷子になってしまったこと。家に帰りたいが道がわからないことを懸命におじさんに伝えたのです。

 

すると、「その場所ならわかるから行き方を書いてあげる」と親切にも言ってくださったんです。これで、ついに家に戻れるとホッとした瞬間でした。

 

おじさんから受け取ったのは私が想像していた地図ではありませんでした。その紙には英語で示された行き方でした。

 

後から夫に聞いたところ、それをダイレクション(direction)と言うそうで、アメリカでは、言葉での説明が普通なんだそうです。

 

今のようにスマホやナビがあれば、私のような経験は皆無でしょう。

 

最後に

夫は、私達の帰宅が確認できず、自宅に何度何度ももかけたそうです。全然繋がらず気を揉んでいたようでした。繋がったのはお昼近くだったと記憶しています。

 

おじさんのおかげで、無事に帰宅することが出来ましたが、なんとも怖い経験でした。

 

それにしても、その間ずっと大人しくしてくれていた息子には、ただただ感謝でしたし、「ごめんね」とただただ謝るしかない私でした。

 

今回もまた長くなってしまいましたので、これで終わります。

 

最後まで、ご覧いただきありがとうございました。

 

 

 

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