こぴちょあぶろぐ

原田病になったことがきっかけで、このブログを始めました。今では料理など、自分の好きなことを中心に書いています。

ナーサリースクールのこと

こんばんは、こぴちよあです。

 

ここのところ、思い出編が続いていますが、不思議なもので書き始めると、当時の思い出がいろいろと蘇ってきます。

 

という事で、今日も思い出編ですが、最後までお付き合いいただけると嬉しいです。

 

キンダーガーテンが始まるまでの1年間をどうするか⁈

夫の海外赴任で、息子と私は後から行くことになった、という話はこちらでしました。

copichoa.hatenablog.com

そこでも少し触れたのですが、息子がエレメンタリースクール(義務教育)のキンダーガーテンのgradeになるまでに、ちょうど1年ありました。その間をどうするか、という相談を国際メール便で夫としていました。

 

その頃の連絡の手段と言えば、主に国際メール便でしたが、急ぎの際には高くても国際電話ということも。

 

息子がキンダーガーテンになる前に、どうしたら向こうの文化や言葉に少しでも馴染むことができるかが最初の問題でした。

 

(注)(キンダーガーテンは向こうの小学校の最初の学年にあたります。そのため、あえてキンダーガーテンになると表現しています)

 

そんな時、「家から車で10分ほどのところに、ナーサリースクールがあるので、そこに入れるのはどう?」と夫から提案があったのです。

 

家から近いナーサリースクールに即決

夫が提案してくれたナーサリースクールの条件を聞くと、確かに息子にとっても良さそうでした。

 

午前と午後のクラスがあるんだそうですが、申し込む時期が遅かったらしく、午前はもう既に空きがないとのことでした。ただ午後のクラスであれば、まだ定員に満たないので申し込みは可能とのことでした。しかもその時の話だと10人程度だというのです。

 

しかも10人程度でも担任とヘルプの2人の先生が受け持ってくれるんだそうです。また芝生のプレイグラウンドもとても広く、園長先生も明るくてやる気にみなぎっている感じで、とても良い印象だったとのことでした。

 

また、親が持ち回りで先生方のヘルプをする機会も多いらしいと聞いたので、それも決めての一つでした。息子の様子を見ることが出来るだけでなく、息子を通して異文化を垣間見ることが出来るからでした。

 

親の都合で海外での生活を余儀なくされたわけですし、私達としても息子の受けるストレスを少しでも軽減させてあげたいと思っていました。そのためには、日本語を話せる仲間がいるところが良いと思っていたので、決め悩むことはありませんでした。

 

ナーサリースクールでの生活

夫の話通り、日本の子供達は確かに半分近くいました。実際の人数は、息子を含めて12人で、そのうち息子も含めた5人が日本の子供たちでした。

 

日本の幼稚園のように、絵を書いたり、工作をしたり、歌を習ったり、絵本を読んでもらったりと、いろいろな経験を通して向こうの文化に触れながら学習していったようです。

 

息子はナーサリースクールにすぐに馴染むことが出来ました。それは、気の合う日本人の友達に出会えたからでした。ありがたいことでした。その子のおかげで、息子は楽しいナーサリースクール生活を最初から最後まで送れたのでしょう。

 

【番外編】 ナーサリースクールで先生に注意されたこと 

まだナーサリースクールに通い始めてすぐのことでした。息子の教室のドアは小窓付きで中の様子をのぞくことができました。

 

息子をナーサリースクールまで連れて行く度に、最初の頃は、息子のことが心配で直ぐに立ち去ることが出来ずにいました。

 

ある日、その窓からこっそりと息子の様子をのぞいていた時のことです。担任の先生が出ていらして私に言いました。「お母さんの気持ちはわかります。でもお母さんが帰らないと、子供にも心配が伝わるので、直ぐに帰宅してください。」と。

 

 

注意を受けて、はっとしました。

 

 

確かにそうですよね。先生のおっしゃったことは正論でした。母親の心配がドア越しに息子に伝わってしまったら、せっかく頑張ろうとしている息子に悪影響を与えてしまいますよね。わかっていたのに、ついついやってしまった私の失敗でした。

 

また長くなってしまいました。ということで、今回はこの辺で終わりたいと思います。

 

最後までお付き合いくださいまして、ありがとうございました。

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