こんばんは、こぴちょあです。
今日はプレドニゾロン錠というステロイド内服薬を減らしていく過程でおきたことについて書いていきたいと思います。
原田病の治療と言えば
まず最初に行ったのがステロイドパルス療法でした。
それは、大量のステロイドを点滴する治療をできるだけ早い時期に行うことで、再発を防ぎやすくするからだそうです。
ステロイドパルス療法は午前中に終わる目安で行われました。
2時間ほどかけて、ゆっくりと1000mgのソル・メドロール(副腎皮質ホルモン剤)を点滴します。
3日間連続で行い、それを1クールと言うようです。
ステロイドパルス療法は炎症をおさえるわけですが、炎症によっては4クールまでやるのだそうです。
あとで知ったことですが、炎症を抑えるのに何クールまでやったら良いかは個人差があり、医師も治療をしてみるまでわかりません。
そこでベッドを確保する関係もあり、入院の目安は1ヶ月と医師は言ったんだそうです。
それなら最初に言ってくれればと当初は思いましたが、下手に期待させるよりはという医師の配慮だったのかもと今は思っています。
私は1クールでは炎症を抑えられませんでしたが、幸い2クールで効果がありました。
それで1ヶ月と言われた入院も半月で退院できたのです。
ステロイドパルス療法で効果が出た後はプレドニゾロン錠というステロイド内服薬に切り替わりました。
私の場合はプレドニゾロン10錠からのスタートだったので、ステロイドの錠剤は50mgからということになります。
当時はプレドニゾロン錠の終了予定は1年と言われていましたが、予定通りにはいきませんでした。
幸いにもその間に再発は免れましたが、内服薬が全て終了したのは、それよりも半年ほど後でした。
プレドニゾロン錠の減量経過
プレドニゾロン錠を飲み始めてから、さまざまな副作用に悩まされました。
でも服用する量が減ってくれば、それに伴い副作用もなくなってくるんだと思っていましたし、それを励みに闘病生活を送っていました。
ところが、全てがそうでもありませんでした。
特に体の痛みに関しては不思議なんですが、薬の量が少なくなるにつれて反比例するかのようにひどくなっていったのです。
私の例になりますが、プレドニゾロン錠を減らしていった過程を、下記のように表してみました。
表示にあるPSLですが、これはプレドニゾロン錠(prednisolone)の略語になります。
また、※印の所は1錠5mgと1mgのプレドニゾロン錠を使用し、減量分を更に細かくしています。
【2016年5月~2017年10月】
プレドニゾロン錠減量経過
① PSL 50㎎/日 朝7錠 昼3錠
↓(入院中~6月20日)
② PSL 45㎎/日 朝6錠 昼3錠
↓(6月21日~7月10日)
③ PSL40㎎/日 朝6錠 昼2錠
↓(7月11日~8月1日)
④ PSL35㎎/日 朝6錠 昼1錠
↓(8月2日~8月29日)
⑤ PSL30㎎/日 朝6錠
↓(8月30日~10月3日)
⑥ PSL25㎎/日 朝5錠
↓(10月4日~11月7日)
⑦ PSL20㎎/日 朝4錠
↓(11月8日~1月16日)
⑧ PSL17㎎/日 朝5mg×1錠+1mg×5錠※
↓(1月17日~2月20日)
⑨ PSL15㎎/日 朝3錠
↓(2月21日~4月10日)
⑩ PSL10㎎/日 朝2錠
↓(4月11日~7月3日)
⑪ PSL 7㎎/日 朝5mg×1錠+1mg×2錠※
↓(7月4日~8月7日)
⑫ PSL 5㎎/日 朝1錠
↓(8月8日~9月11日)
⑬ PSL 5㎎/日 朝1錠(隔日)
(9月12日~10月17日)
服用量が少なくなったら、からだが痛くなった!
プレドニゾロン錠の服用量が少なくなるにつれ、体の痛みが始まりました。そしてだんだんとひどくなっていったのです。
他の副作用ではみられなかったケースでした。定期健診時に痛みのことを先生に伝えても、解決する手がかりもなく、途方にくれるばかりでした。
痛みが始まったのは、ちょうどプレドニゾロンが朝の1錠になった数日後あたりからでした。
最初は左肩が痛くて手をあげられなかったため、「もしかして、これがいわるゆる50肩?」と思ったりしました。
そうしているうちに、今度は次第に左手のしびれや左の指のしびれ、そして頭頂部がモヤモヤするようなしびれも起こり始めました。
プレドニゾロン錠1錠が隔日になってからも痛みは起こりました。
というより、さらに増してきたんです。
それでも私はまだ、プレドニゾロン錠がすべて無事終了しさえすれば、この訳の分からない痛みからも解放されるじゃないかとも思っていました。
ところが、痛みは消えるどころか更に酷いものになっていったのです。
と言うところで今夜はこの辺で終わりたいと思います。この続きは次回に持ち越しさせてください。
最後までご覧いただき、ありがとうございました。