こぴちょあです。
2日に渡って懐かしの味を再現したところ、夫も息子もものすごく喜んでくれたので記事にしました。
1日目の夕飯の主役は
もうタイトルでおわかりですよね。
カリフォルニアロールです。記憶を頼りに作ってみました。あ、記憶を蘇らせるため、動画の力も借りました。
中身は手巻きの時と同じで、アボカド、カニカマ、胡瓜です。オレンジはとびっこです。^^ 帰国後は何回か作ったのですが、いつのまにか手巻きに代わってしまいました。
あまりに久しぶりだったのでシュミレーションしたのに、巻き方も今ひとつでした。それなのに、懐かしさからかものすごく喜んでくれました。
カリフォルニアロールは、手巻きより断然こっちが良いと、息子からのあまりに強い要望に驚きました。
カリフォルニアロールをメインにスパサラダ、手羽中の塩胡椒焼きも添えました。


手巻きと違いそれだけってわけにもいかず、上記を追加しました。相変わらず盛り付けが下手ですが。
カリフォルニアロールの由来
日本人の考案だってご存知でしたか?
雑学.comさんの食べ物雑学に詳しい由来が書かれていました。詳しいことは下記サイトをぜひご覧ください。
カリフォルニアロールの由来、実は日本人が考案した料理 | 雑学.com
上記サイトにも明記されていましたが、私達が暮らしていた当時でも、まだアメリカ人の多くの人にとって海苔は馴染みのものではなく、黒くて気味の悪いものでした。子供にとってはなおのことだったと思います。
海苔の悲しい思い出
日本人と知り合いだったり、日本食にも馴染みがある裕福な家庭であれば知っていたことでしょう。裕福な人が多い町に住んでいましたが、それでも海苔はまだまだ認知度の低いものでした。ですから当然noriでは通じずsee foodと言われていました。
そんな時代ゆえに、海苔にまつわる悲しい思い出が息子自身にもありました。
当時向こうの小学校に通い始めたkindergarten grad の頃、息子がお昼に食堂でおにぎりを食べていたところ、黒くて得体の知れない物をたべていると笑われ、クラスメートからYack(気持ち悪い)という言葉の洗礼を受けたのでした。
そんなわけで息子は1年間はおにぎりは封印し、食堂でひたすらクリームチーズを挟んだベーグルを買って食べるという選択をしたのでした。その時のことを思い出すと今でも息子が不憫になります。
ナーサリー(nursery)の時はほぼ半分が日本人だったので、それなりにリラックス出来た1年だったと思いますし、向こうで暮らすにあたり、それが目的でした。
ですが1年後のキンダー時代は、息子にとっていろいろと辛い1年でした。親の私と違い逃げることも出来なかったからです。
それなのに、私はクラスマザー(ボランティア)を申し出たものの、日本人以外に電話伝達をすることに不安を覚えて出来ないと辞退したのもこの時でした。
1st gradeでの変化
そんな辛い1年を過ごした息子でしたが、1st gradeになると転機が訪れました。日本人は息子だけでなく、息子を含めて4人全員が同じクラスになったのです。
ナーサリーの時に同じクラスだった日本人の女の子と再び同じクラスになったんです。(学年ごとの写真が飾ってあるんですが、それを見たら違っていて焦りました。(;^ω^) 訂正させてください。)
おかげで、おにぎりも復活しました。日本語が通じるだけでなく、食べ物への理解もある仲間がいる安心感が得られ、息子は再びおにぎりを食堂で食べることが出来るようになったのです。
1st gradeの時の担任が日本人をまとめてひとりだけではなく、2人まとめて受け入れてくれたことは、本当にありがたいことでした。(2nd gradeの時の担任が4人の日本人を受け入れてくれたのでした。それなのに1st gradeの時からと勘違いしていました。( ̄▽ ̄;) こちらも訂正させてください。)
あ、ちなみに食堂のベーグルですが、ここのは息子の思い出の味ではありません。むしろ辛い思いでの一つでした。美味しいものではなく、選択肢がなくて仕方なく同じものばかり食べていたに過ぎなかったからです。
最後に
もう少しサクサクっと書けると思ったら、思いの外長くなってしまいました。
ということで、続きの2日目の夕飯は次回に書きたいと思います。
長文になってしまいましたが最後までお付き合いいただき、ありがとうございました。